時制の移動? 「残念」「ありえない」
本来、「残念だ」というのは、過去の出来事に対して使われる言葉です。
例)残念な結果、〜して残念だった
それが、最近は、現在進行中の出来事にも使われるようになってきています。(まだごく一部ですが)
例)あの残念なチラシがまた使われているよ。
本来過去的な意味合いを持つ言葉が現在に使われることによって、そうでなければいいのに(そうなっている)という意味の二重性が生まれています。
ここでいう、過去属性を持った言葉を現在の事象に対して使うことによる、意味の二重性については、高校英語に出てくる「仮定法」を見ればわかりやすいです。
・I wish I were a bird.(鳥だったらいいのに)→私は鳥じゃない
・should have been〜(〜であるべきだった)→実際はそうなっていない
「残念だ」を、従来通り過去の出来事について使った場合には、単に過去の出来事に対する判定にしかなりません。
時制の移動、と言ってしまうと、専門用語的にはNGかもしれませんが、これに似ていると思うのが、もっと前から使われている「ありえない」の新用法。
「有り得ない」は、「有る可能性がない」だから、元々は現在から未来に向かっての事象に対して使われる言葉です。
例)空からお金が降ってくるなんてありえない。
それが、最近では、現在のことについて使われるようになっています。
例)まさかそんなことを言うなんて、ありえなーい。
これも、未来に使う言葉を現在に使うことによって、信じられない(が現に起こっている)という、意味の二重性が生まれています。
仮定法は過去→現在ですが、この「ありえない」は未来→現在という動きになっています。
英語にもこのような用法はあるのか、そもそも従来の日本語に未来→現在という用法はあったのか、が気になるところです。
COMMENT
私の言ってることが正しいかどうかは別として、「残念なチラシ」という表現に違和感を覚えませんか? あるいは、「残念な結果」とは違う使われ方だとは感じませんか?
そこを取り出してみたいだけなのですが…。
つまり、チラシというのは、現在進行形で、その“残念さ”を持ったままチラシとしての役割を果たし続ける、という意味で、私の言葉でいえば、現在的なアイテムなのです。
というか、もっと「なるほどー!」な例を出していただけるとわかると思うんですが。
それが難しいんですよー。
私はまだその使い方に違和感を感じてる段階で、自分で表現を生み出せるまでにはいってないので。
検索をかけてみると、「残念な写真」というのが多いですね。写真を撮ったのは過去ですが、写真を提示しているのが現在なので、違和感があります。
他は「これは残念なブログです」とか。「今日の飲み会は残念な感じ」と夕方(飲み会の前)に記したものなど。
そのメカニズムを「はしょり」だととらえるのなら、確かにこれははしょりの問題です。
でも例えば、「全然(問題なくて)大丈夫」(←「全然」のあとには本来「ない」が来るので誤法とされる)のようには、はしょりの部分が明確でない気がするんですよね。
「残念」という言葉そのものの意味が変質してるような。
ぜんぜん大丈夫、については、それは「全然(問題なくて)大丈夫」なんじゃなくて、「ぜんぜん」という言葉にかかるところの強調の意味を利用してるんじゃないかと思います。
「失敗」は状態を表す言葉だから、現在でもありえます。
「残念」は判定を表す言葉だから、一回こっきりの動作(動作というのは語弊がありますが)です。従って、「残念だ」を現在で使うと、判定が何度も起こり続けているような違和感があります。
新用法(仮)では、この違和感を逆に利用してる(上手い例が思い付きませんが、「中の人」のように、普通使わない言葉をわざと使う)ように思います。
…とここまで考えてきて、問題は時制じゃないような気もしてきました。いや、時制の要素も皆無ではないと思いますが、残念な結果という場合、普通は勝負や採否など、どう残念なのかはっきりしているのに対して、最近は何がどう残念なのか、説明無しにはわかりづらいものに対して使われるようになってきたということかもしれません。
ではこの場合に「失敗」とはどうちがうのかというと、失敗は、何か到達すべき点があって、そこに到達できなかったことを指すのに対し、残念はもっと漠然とした落胆を指すところがちがいます。
「失敗の写真」という場合、ピントがずれている、構図やタイミングがまずい、ということだろうと予想がつきますが、「残念な写真」の場合、写っている内容が残念だと思わせるものなのか、逆に写っていてほしいものが写っていないのか(撮影者の意図は実現されているにも関わらず、見る者にとって残念でありうる)、上に書いた失敗の写真なのか、あいまいすぎるので違和感があるのでしょう。
「全然大丈夫」については、あおきるさんの解釈もありだと思います。
となると、今まで使われてた用法が、そもそも間違ってた、ってことなんですかね。「新しい」は本当は「あらたしい」が正しかったのにいつのまに「あたらしい」になっちゃったような。だからいずれ「うるおぼえ」も「ガイシュツ」も教科書に載るようになったりするんでしょう。
間違いというより、本来でないほうの意味が主権を得ていく過程が面白いな、と。
「ガイシュツ」はまだ間違ってると分かっていて使っている人が多いと思うので、教科書に載るほどになる頃には、人類滅びてるかもしれませんね(汗)





